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「日の丸」の起源としてもっとも確実な絵画は「清水寺縁起絵巻」(東京国立博物館蔵)だと思います。 画像元:http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=F08&processId=01&col_id=31382&Title=&Artist=%93%79%8D%B2%8C%F5%90%4D&Site=&Period=&FromNo=&ToNo= ![]() ![]() 大和朝廷の時代、朝廷の版図(領土)はおよそ関東地方まであり、東北地方は「蝦夷」とよばれる朝廷には従わない人々が暮らしていました。 朝廷はたびたび遠征軍を出し、着実に領土を増やしますが、蝦夷は機会を得ては反乱=独立戦争を起こします。 東北地方での朝廷と蝦夷の最後の大決戦は、桓武天皇の時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と蝦夷の首長・「阿弖流為」(アテルイ)との間で行われました。 朝廷軍は苦戦するのですが、田村麻呂が観音様に必死に祈願すると、観音様はそれに応えて雷神を救援に送ったために蝦夷軍は戦意を喪失して大敗した――という物語がこの「清水寺縁起絵巻」に語られています。観音様に感謝して田村麻呂は京都に清水寺を建立しました。 歴史的には802年のことですが、この絵巻が描かれたのは室町時代です。したがってどこまでリアルなものか、信憑性に疑いがあるものの、かなり詳しい伝承があったものと思われます。 たとえば蝦夷(東北の人々)は鬼か野獣のような顔で描かれているのはそのような伝承があったことを示しています。縄文人の血が濃い東北人の顔は、渡来系弥生人の血が濃い朝廷貴族が偏見を持って見てみれば「鬼か野獣」に見えます。アルテイの顔の復元図 また蝦夷軍の船はかなり高級な造りで、武具もまた大陸風に見えます。これもおそらく事実でしょう。軍船・武器の姿・形は想像であるにしても、蝦夷が単なる野蛮人ではなかったことを伝承しています。つまり、強力な相手だったと。 現代人は蝦夷をまるで野蛮人の集合のように考えがちですが、実際には北海道や新羅、高句麗(古代朝鮮にあった国)とも交易を行う「文明人」であり、朝廷にとっては目の上のタンコブでした。 したがって日本海を越える船舶を所持し、大陸風の先進武器を持っていたのは当然のことです。だからこそ田村麻呂以前の朝廷軍はたびたび手痛い敗戦の憂き目にあっています。 船舶の船端にずらりと並んだ「日の丸」も伝承に基づいたもので、画家の創作とは思われません。その意味は敵(朝廷軍)を威嚇するものであり、猛烈な太陽の熱と光で敵を滅ぼす呪術的な意味合いを持っていたのだと思います。 “連中は白地に赤丸印で襲い掛かってきた。しかし観音様の力が勝った”という伝承に基づいて画家が描いたものだと推測します。 中国古代神話では英雄ゲイが九つの太陽を射落としました。この九つの太陽を自己のシンボルとして朝廷軍に立ち向かったのに違いありません。九つどころか無数の「日の丸」を掲げて敵を呪い殺そうとしたのでしょう。 この「日の丸」――白地に赤丸は先に(13)装飾古墳と太陽で述べた「白壁に赤丸」紋様につながります。 この虎塚古墳のある茨城県ひたちなか市とは水戸市の近くであり、かつては蝦夷の領域でした。その地は「日高見国」と呼ばれていました。 蝦夷の「日の丸」は蝦夷地域=「日高見国」共通の呪術的シンボルであったならば、蝦夷の存亡をかけた最後の決戦に「日の丸」を掲げて朝廷軍を撃破しようとしたのは理解できることです。 虎塚古墳から蝦夷「日高見国」の滅亡まで約150年。古代のゆったりとした時間の流れの中では、たとえ室町時代の絵であっても古代の部類に入れた方が良いとと思い、ここにアップしました。 かろうじて北上地域に残存していた「日高見国」はこれ以後、「陸奥国」に塗りつぶされ歴史から消えます。 すべてはヤマトの朝廷によってかき消され、その実態をうかがうすべもなく、その存在すら疑わしく思われるようになりました。 歴史の改竄とは、歴史を単にねじ曲げるだけではなく、歴史そのものを奪うことも含まれます。 「日の丸」が天照大神を象徴しているという主張は歴史的には根拠がありません。 蝦夷とさげすまれた人々が、敵方である朝廷の始祖神・天照大神を旗印にしたなど信じられますか?。 少なくとも、この絵が描かれた室町時代では、白地に赤丸の「日の丸」が蝦夷の象徴であったことを疑う人がいなかったことを示しています。 それは平安京の貴族にとってある種「異様な文様」でしたから、後に強力な呪力がある文様として再利用されますが、それは後に述べます。 「日の丸」が好きな人はこの国宝である絵巻になぜかにまったく触れません。 「日の丸」推進派の筆頭である所功京都産業大学教授も、教授なのですから知っているはずでしょうが知らぬ振り。 「日の丸」好きな人は、できればこの絵巻も歴史から抹殺したいと思っているのでしょうか。国宝ですからそうもいきません。それともただ知らないだけなのでしょうか。 わが国最初の「白地に赤丸紋章」は東北の逆賊・蝦夷の紋章であったという伝承を無視して「日の丸」を語れるはずがありません。 だから無視を決め込んでいます。そういう態度は好きではありません。
by hangeshow
| 2008-09-03 18:26
| 古代
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