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宮内庁が発掘を妨害しない中小の古墳から皇族・王族の墓だと推測される立派な遺跡が発掘発見されたりするのは皮肉です。高松塚古墳やキトラ古墳がその良い例です。
キトラ古墳の天上には北極星を中心にした天体図が描かれています。(模式図) ![]() 画像元:http://tt.sakura.ne.jp/~hiropon/sky/cafe35.html その図は中国古代の天体図が元になっているので、今日わたしたちが普通に見る天体図(星座盤)とは大いに異なっています。 しかし学者とはえらいもので、キトラ古墳に描かれた星座や黄道(太陽の通り道)などからどの星が描かれているかを割り出し、この天体図がおよそ北緯38度で見ることができる夜空であることを明らかにしています。具体的に言うと北朝鮮のピョンヤン、当時の高句麗の夜空であるそうです。 古墳の東西南北には四神という古代中国の霊獣が描かれています。玄武(北)、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)という四神がきれいにそろって発見されたのは初めてという。(多くの古墳ではいくつか剥落していて全部は確認できていなかった。) 特に注目を浴びたのは子丑寅‥の十二支が人身獣面で十二方位に描かれていたことです。子は北、午は南をさす。地球の南北に輪切りにした経線を子午線といいます。 さて星は直径1cm程度の金箔で示され、星座はその星を朱線で結んでいる。相当剥落しているが日像・月像は直径5cm程度の円でひときわ大きい。日が金箔、月が銀箔で示されています。 金丸太陽を仔細に調べてみると、三本足カラスの像が描かれていることが判りました。すると月は損傷が激しく確認はとれていませんが、おそらくガマやウサギが描かれていたに違いありません。 繰り返しますが、太陽太陰という単語は陰陽五行説に基づき、陽気陰気の根源という抽象的な概念を示しています。それを天体の日月に当てはめると、太陽は赤、太陰は青となるのです。 キトラ古墳の天体図の場合、日月を観念的な赤青で示さず、よりリアルな金銀で示したものでありましょう。金銀の方がより豪華で装飾的です。 ところでこの墓の主はだれか?歴史学者は「文献に記録がないからわからない」といい、考古学者は「墓碑が発見されていないからわからない」と言っています。慎重なのは良いのですが大胆な推理ができないものでしょうか。 世界を支配する天帝の座は北極星です。天帝の代理、もしくは子と言われるのが天子様です。北極星の真下に眠る人物は天子(天皇)または天子に匹敵する人物であると思われます。 この古墳の位置は天武天皇が計画し、妻の持統天皇によって完成した藤原京の南北を貫く中央大路の延長線上にあります。 この延長線上には天武・持統合葬陵があり、天武の孫である文武天皇の陵もあります。いわば聖なるラインで、このライン上にある陵墓は天武一族であると考えられています。話題となった高松塚古墳もキトラ古墳もこのライン上にあります。 そして高松塚古墳でも北極星を中央にした星座図が発見されており、キトラと同じように太陽は金箔、月は銀箔で描かれていました。 文武の子である聖武がその礼服の肩に日月の紋様を金銀で描いたのは、古墳の天体図と関係があるのかもしれません。礼服の背中には天帝の座である北斗星が描かれていました。
by hangeshow
| 2008-08-27 10:56
| 古代
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