カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
唐・新羅との無謀な戦争に踏み切った天智王朝は白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)で大敗北を喫したがなお徹底抗戦の姿勢を示していました。その天智王朝を武力で打倒(壬申の乱672年)して成立したのが天武による新王朝です。
天武王朝は倭国を日本と改めて唐と講和し、先進的な大陸の帝国・唐の文化文物が大量に日本に流入するようになります。それは鬼畜米英に敗れた日本が急速にアメリカ化したことによく似ています。朝廷は唐の律令制を取り入れ、天子を頂点とする中央集権制の確立に取り組みます。朝廷の儀式儀礼も唐風に改められました。 適当な画像がないので漫画で恐縮です。聖武天皇が被っている冠は唐の皇帝の冠をモデルにしています。 また着ている赤い服は、一見すると和風にも見えますが、これもまた中国皇帝の礼服をモデルにしたものです。 この絵ではよく見えませんが、この赤い礼服にはカラスのいる金色太陽とウサギのいる銀色の太陰(月)が描かれていました。 聖武天皇以後、代々の天皇は重要な儀式の折にはこの赤い衣装に身を包み、その伝統は明治天皇の父君である孝明天皇の時まで続きました。 次の画像は孝明天皇の礼服(上着)です。 画像引用元http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/cat_177588-1.html 地の色が赤ですから、赤丸太陽では映えない。それで金色太陽になっています。天皇の象徴として日月を描くとき、金銀の円で描くのはこの礼服の紋様が頭にあったからでしょう。 天皇が車で出かけるときにはフェンダーに天皇旗がはためきます。明治になってできた旗ですが、地の色が赤で16弁の金色の菊花紋章が描かれたものです。地の色が赤というのもこの礼服と関係あるに違いありません。 赤は古代中国の陰陽五行説では南を現し、その勢いがもっとも盛んであることを示します。南の神獣は朱雀(すざく)で、しばしば鳳凰の図柄で描かれます。鳳凰は天皇を象徴する霊鳥ですから、天皇の色が赤だというのもうなづけます。 ちなみに、皇太子を東宮といい、そのシンボルカラーは青となります。 しかし天皇のシンボルカラーが赤だという本当の理由は、おそらく中国皇帝と同じ色、すなわち黒を遠慮したからだろうと思います。島国の王の分際で皇帝と同じ衣装を着るとは出すぎた行いで、謀反の意志有りとして討伐の対象になりえます。 この画像は漢時代の皇帝の礼服です。 画像元:http://www.5000han.com/bbs/thread-783-1-6.html 中国皇帝の礼服では、地の色が黒ですから太陽は伝統的な赤丸です。 皇帝がこの服を着用するときには百官は赤服と言われますから、天皇が赤服というのは中国皇帝の部下であることを自ら示したのかもしれません。 中国皇帝と天皇の礼服ではいろいろ違いがあります。日月の左右の位置が反対です。また皇帝の場合、日月の下に北斗七星とこと座(織女星)が描かれていますが、天皇の衣装の背中には北斗七星が描かれ、こと座は省かれています。 北斗七星は決して地に沈みません。その中心の北極星こそ天帝の住処と思われていました。 北極星は北の星です。陰陽五行説ではその色は黒となり、天帝の子たる天子様も最高級儀式の時にはこの黒い衣装を着用したのでした。 また黒はすべての色を合わせた色ともいえます。すべてを統合した玄妙な色としての黒で、天子が地上の万物を統合することを示しています。 天皇の衣装は黒が使えないので、せめてということでしょうか、背中の中央に北斗七星を描いて、俺は天子だぞという主張をしています。 天子が北極星ならば日月はその部下となります。左右の大臣のごとく左右の肩に日月が描かれています。これは太陽の子孫をもって認じる天皇にとっては大変な矛盾なのですが、中国文化に目がくらみ、その矛盾には目をつぶったのでした。
by hangeshow
| 2008-08-22 17:01
| 古代
|
ファン申請 |
||