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奈良・法隆寺の隣に中宮寺があります。そこには国宝・「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」が展示されています。もちろんレプリカですが。
これは聖徳太子が622年に愛妻・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)とまるで心中のようにして亡くなった後、太子の正妻を自負する推古天皇の娘である橘太郎女(たちばなのおおいらつめ)が推古天皇の許可を得た上で、太子を追悼するために作製した刺繍のタペストリーです。それを「帳(チョウ・とばり)」といいました。 天寿国とは極楽のような死後の世界であり、そこで太子が幸せに暮らしていることが描かれています。 下絵を描いたのは大陸や朝鮮半島からの渡来人画工であり、刺繍をしたのは宮廷女官である采女(うねめ)であると伝えられています。 中宮寺の秘宝であったものが鎌倉時代に再発見されましたが、もう相当程度痛んでいたようです。再現できる部分は補修されましたが、今日見てみると、鎌倉時代の補修の方が一層痛んでいますから、飛鳥時代の刺繍の技術の高さがうかがわれます。 さて画像は幸運にもほぼ当時のまま残った月(太陰)です。あまり愛嬌のないウサギが中央の不老不死の薬壷の左側におり、右側には月桂樹が描かれています。画像元:http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=2562 その後、日本では満月を望月ということから、語呂合わせでウサギが餅をつくという話になってしまいましたが、この繍帳では中国古代神話に忠実で、薬草を作るウサギが描かれています。 したがって、この時代は中国・韓国・日本の三国が共通の中国文化圏であったことがよくわかります。 では太陽はどう描かれていたかというと、残念ながら実物も鎌倉時代の補修も残されていません。 しかしながら月に薬草を作るウサギが刺繍されているのですから、カラスのいる赤丸太陽が刺繍されていたと推測できます。 その推測を裏付ける実物があります。太子の伯母である推古天皇の御物であったとされる法隆寺所蔵の国宝・「玉虫厨子」の背面に描かれた「須弥山図」です。 須弥山とは仏教世界で言う世界の中心にある山で、厨子の絵柄では三階建てのキノコのような須弥山の頂上に帝釈天の宮殿があり、その左右に日月が描かれています。 左側の光芒のない赤丸太陽の中にはカラスが描かれ、右側の月(太陰)は文様がはっきりしませんが、おそらくウサギが描かれていたのでしょう。 2200年前の古代中国南部の馬王堆遺跡の太陽太陰文様は飛鳥時代の最高級の人々にしっかりと受け継がれていたことを確認できます。 金色でも白でもなく、光芒(日の光)も描かない単なる赤丸太陽のわが国における最初の図柄がこの玉虫厨子に示されています。 「日の丸」賛美派の人々は「日出国の天子」と随への国書に書いた聖徳太子を美化しながら、太子を追悼する天寿国繍帳に描かれていただろう赤丸太陽や、太子の伯母が所持していた玉虫厨子に描かれている赤丸太陽には決して触れません。黙殺です。 光芒のない赤丸太陽の起源が中国にあるという歴史的事実を認めたくないからでしょう。それは公正な態度ではなく、卑怯な態度だといえましょう。
by hangeshow
| 2008-08-20 21:15
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